人間とロボットの違い

 

近年、ロボットの発達は目まぐるしく様々な業界で活躍しているのはもちろんのこと、ロビやペッパーの登場で、家庭にもロボットが普及しつづけています。また、最近ではドローンが特に注目を集めていて、それに関するニュースを多く見かけるようになりました。

さて、先日(だいぶ昔ですが)とある番組で林先生(名前を聞いてじんましんが出たという人はごめんなさい)がこのような質問を受けていました。「人間とロボットの違いって何だと思いますか?」  この時、林先生は明確な答えを出しませんでしたが彼には彼なりの考え方があったのだろう、と僕は勝手に思っています。ところで、皆さんなら何と答えるでしょうか。たぶん一番多い回答は「感情、または個性を持っているかどうか」でしょう。たぶんそれが正解なんだと思います。では、感情や個性とは何から生まれてくるのかと聞かれると答えに詰まる人は多いのではないでしょうか?

ここで僕の回答を上げるとすると「矛盾を解決する力」です。

人間は多くの矛盾に押しつぶされて生きています。ここで具体例は挙げませんが「一つも思いつかない」と言う人はこのブログの読者の方々の中にはいらっしゃらないでしょう。矛盾は僕たちの頭を混乱に陥れ、それについて考えれば考えるほど絶対に解決できない問題に思えてくるのではないでしょうか。しかし、そこで立ち止まらないのが人間です。自分なりの折衷案をひねり出したり、どちらかをあきらめたりなどその方法は人それぞれです。

もう分かりましたよね? そうです。この矛盾を熟考し独自の答えを導き出すことが人間を人間足らしめている大きな要素の一つだと僕は考えているのです。現状、ロボットにはこれは不可能なはずです。もちろん、命令やプログラミングにも優劣がありますから、「片方をあきらめる」ことはできるかもしれません。しかしそれはもともと矛盾として成立していません。ロボットに「友情を大事にしなければいけない」と言うプログラムと「恋人を愛さなければいけない」というプログラミングがされていたとして、果たしてこのロボットは友人と恋人の三角関係を解決することができるでしょうか? それはたぶん不可能です(ただし、予め「愛情と友情とでは友情を優先せよ」と言うプログラミングがされていた場合、それは矛盾として扱いません)ここで人はどちらをとるか真剣に考えます。悩んで悩んで、遂に恋人をあきらめ友情を取ったとします。ここでその人には「友情を大切にする」と言う個性が生まれます。ここではまだまだ人間とは呼べません。しかし人間はまた新たな矛盾を発見しそれと格闘することになるでしょう。そうして個性は完成に近づいてゆくのです。

(しかしそうなると先ほどの記述で「先天的なプログラミングがある場合、それを個性として扱わない」としたのは間違いとなります。まあ、話を分かりやすくするためにそう言う条件にしたのですが。つまりロボットも、全ての矛盾に対する解決方法を予めプログラミングされていればロボットは「個性や感情は持たないが矛盾を解決できるもの」となり、僕の理論は崩れます。しかし、現実にはそれは不可能です。つまり僕の最初の説にには「現時点では」と言う但し書きが着くことになります)

つまり、僕がもっとも言いたいことは「自分を人間的に育むには矛盾に立ち向かうための知恵と根気が必要である」と言うことです。一見、解決の糸口が見えない問題も長い時間をかければ解決できるものがほとんどです(そして、解決できない問題のほとんどが数学的問題なのです。)目の前の壁に対して億劫にならずそれを「自分を成長させる試練だ」と思えるようになれ、とはよくいいますがなかなか実践できず、そこでつまずく人が多いのも事実なのです。そんな時、この話を思い出して少しでも新たな挑戦の手助けになればいいな、と思っています。